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topics 庶民の目線で戦争記録を 木祖のグループ抑留者に聞く

(2008年6月27日)
シベリア抑留を体験した村民(中央奥の3人)から話を聞いた「戦争体験を記録する会」

シベリア抑留を体験した村民(中央奥の3人)から話を聞いた「戦争体験を記録する会」

 庶民の立場から第2次大戦の記録を残すため、体験者の聞き取りを進めている木祖村の「戦争体験を記録する会」は24日夜、2回目の会合を村内で開き、終戦直後にソ連軍の捕虜となりシベリアに2-4年間、抑留された村民の話を聞いた。

 話したのは大岩忠夫さん(82)=小木曽=と大岩敏夫さん(83)=同、田中公平さん(83)=薮原=の3人。終戦間際に内地や旧満州(現中国東北部)の開拓地から召集され、国境線の警備などについていた。田中さんは「武装を解かれて貨車に乗せられ、帰国できるということで喜んでいたが、だまされた」と連行の状況を説明した。

 最初の年は特に食料事情が悪く、3人とも「ひもじくつらかった」とし、仲間が栄養失調で亡くなったことを話した。炭坑にいた忠夫さんは「トロッコのレールを人力で運ぶのだが、力を合わせないと大けがをするので神経を使った」。敏夫さんは「技術兵で機関車修理に回された。屋内の作業だったので体が持ちこたえたと思う」と振り返った。

 ノルマを達成するためさまざまな工夫をしたほか、大規模な収容所では演芸大会をしたり、捕虜向けの新聞で世界を見る目ができたりしたという話も出た。敏夫さんは「ソ連の人たちも服はぼろぼろで、ドイツとの戦いで疲弊していたのだろう」とした。

 忠夫さんは会合後、「あの世へ行く前に早く話をしないとと思っていたので、いい機会だった。戦争がなければ、こんな苦しいことはなかった」と話した。同会は「活動を始めて、把握していなかったシベリア抑留者も名乗りを上げてくれた。掘り起こしを引き続き進めたい」としている。

(提供:信濃毎日新聞)

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