上伊那ゆかりの漂泊の俳人・井上井月(せいげつ)(1822-87年)の姿が描かれた、幕末の俳諧一枚摺(ずり)が上水内郡中条村で見つかった。県内では、井月を描いた絵が上伊那地方以外で見つかるのは珍しく、清泉女学院大の玉城司教授(俳諧史)は「井月の足跡や交友を知る貴重な史料」と話す。20日から28日まで長野市大門町の「かんてんぱぱショップぱてぃお大門店」で開く井上井月展で公開される。
俳諧一枚摺は、何人かの俳句を1枚の紙に刷ったもので、江戸時代を中心に流行した。干支(えと)にちなんだ絵などが添えられることが多い。見つかった一枚摺は、中条村の農業・本道元(もとし)さん(73)の曽祖父で井月と交流があった佐市さんの遺品の中にあり、地元の研究者が玉城教授の元に持ち込んだ。
末尾に「乙丑(きのとうし)のはる」とあり、慶応元(1865)年の制作とみられる。井月をはじめ15人が句を寄せ、3句目の井月の句〈数の子や土器(かわらけ)したむ山折敷(やまおしき)〉は、新年を迎えた喜びを詠んでいる。絵は、上田藩士の絵師・木村培樵(ばいしょう)による4色刷りで、干支にちなんだ黒毛の牛のわきに、ほおづえを突いてうたた寝をしているような、丸顔の人物が描かれている。玉城教授は、駒ケ根市出身の医師で俳人の故・下島勲(俳号・空谷)さんが子どものころ見た井月を後に描いた墨絵ともよく似ているとし、一枚摺の絵は「実際に井月を見て描いたのではないか」とみる。
句を寄せた井月以外の14人は、善光寺俳壇の中心的存在だった宝勝院住職の梅塘(ばいとう)をはじめ、多くが長野近在の俳人という。井月の信州での足跡は、多くの句や書を残した上伊那以外では一般にあまり知られてこなかった。上伊那の研究者らでつくる井上井月顕彰会顧問の矢島太郎さん(82)=伊那市=は「長野周辺で井月が俳人たちと交わっていたことが具体的に分かる。井月が上伊那だけでなく信州にとって重要な俳人であることを多くの人に知ってもらうきっかけになれば」と話している。
井月展の問い合わせは矢島さん(電話0265・78・4696)へ。
(提供:信濃毎日新聞)





















