
1月上旬チロルの小村ベント(Vent)で、生きた豚を雪の中に埋める雪崩医学実験が行われ、世界の注目を浴びた。10日間、29頭の豚が使用される予定だったが、動物愛護運動や地元観光関係者の猛烈な反対で、3日目、10頭が死亡したところで実験は中止された。
オーストリアでは平均して年間20~30人、アルプス全体では100人程度の雪崩死がある。人命を救うための動物実験は、オーストリア科学省動物実験委員会の認可を得て、実験倫理委員の監視の下に行われたのだが、思いもかけず頓挫のやむなきに至った。
この国際的実験チームの責任者H.ブルガー教授(Hermann Brugger)は、雪崩後の経過時間と死亡原因の変化の関係を明らかにした業績で知られ、イタリアとオーストリアの南北チロルを根城にして20年来国際的に活躍している。
私もだが多くの雪崩専門家や医師が、彼の研究成果を参考にして、人命を助けるための仕事を進めてきた。たとえば、名古屋大学医学部の麻酔科医師と日本勤労者山岳連盟とが組んで、県内で90年代後半に3年続けて有志登山家の埋雪実験(40分~90分)を行い、低体温症対策を少しばかり向上させた。
アルプスでの統計によれば、雪崩に全身埋まった人のうちの2割くらいが窒息しないで1時間以上生きている。これは顔の周りのエア・ポケットのせいだ。さらに時間が経過すると、酸素欠乏と低体温症とが重なって死に至る。その前後の脳・心肺など身体機能の詳しいデータを得たい、有効な救命策を得たいと、実験チームは麻酔をかけた豚に計器を埋め込み、1日2~4頭ずつ雪に埋める実験を遂行したのだ。
本当に必要な実験なのだろうか?まさか、雪崩と無縁な日常をおくる豚類の救命率向上に資する実験ではあるまい。私は動物実験を日頃行っている医学者、生物学者の頭が麻痺していると思う。
マウスよりも豚の脳や心肺は人間のものに近い。90年代には米国の自動車業界が豚を乗せてカー・クラッシュ実験を行っていたが、動物愛護運動の高まりで中止している。しかし、米英の軍隊は抗議をものともせず、今日もなお、年間3~4桁の頭数の麻酔豚を撃ち、突き刺して「兵士の救急訓練」に供し、あるいは各種の防爆衣を被せて至近距離から爆破し、「兵士の救命率向上」に資する。「国際テロ対策」:彼らの「崇高な」目標の中に、敵の救命率向上は含まれないし、もちろん豚の命は眼中に無い。
一方、08年4月に米ユタ州では、計器を埋め込んだロボットやダミーを人工的な雪崩爆破で急斜面から落とし、脳や身体各部にかかる負荷を調べる実験も行われた。おそらく軍事研究のお下がりであろう、爆風に強いスチールマネキン「Iron Man」(身長2m、体重83㎏)は高度差137mを最高時速40㎞で落下し、11回転した。途中で岩に激突もした。頭部には、ジェット戦闘機パイロット並みの4G(重力加速度)~10Gの衝撃があった。
最近のカナダ医学者の研究によれば、北米ではヨーロッパアルプスと異なり、ヘリスキーやスノーモービルを楽しむ人々の雪崩死が多く、ビーコン(雪崩用トランシーバー)の助力もあって現場で仲間によって割合に早く掘り出される。その結果、窒息や低体温症による死亡が減る一方で、頭部・胸部の外傷による死亡率が高まる。ブルガー教授の低体温症実験とは異なり、ユタ州のような外傷対策に貢献する実験がいま注目される。
この頭部を衝撃から守り、かつ、雪崩の表面に体が浮くため、雪山のプロフェッショナルが携行するのが雪崩エアバッグだ。雪崩に流されはじめたら胸の引き金を引くと、背負っていたエアバッグにガスが瞬時に充填される。天使の翼のように膨らむもの。大きな枕で頭を包みこむもの。作動の原理は乗用車のエアバッグと同様だ。ノルウェー・スイス・ドイツ・アメリカなどで開発され、約5万円~10万円相当の製品が普及しているが、残念ながら我が国では輸入に難があり、少数の好事家が所有しているに過ぎない。
KlimABS Freeride Avalanche Pack
25年間のエアバッグ着用者雪崩時生存率は98%という。エアバッグ展開時の浮揚効果は信頼できるものの、誤作動があったり、後発の二次雪崩に埋まったりで死亡につながったケースもある。雪崩緊急時、仲間のエアバッグに無線を飛ばして膨らませるリモートトリガー製品も近々市場に出る。
2月2日、南チロル(伊)の山スキーフリーク・C.オレル氏(46)の場合、大雪で雪崩予報が警告を発しているにもかかわらず傾斜40度の急斜面に突入し、幅60m、長さ150mの雪崩を引き起こした。エアバッグが機能して、雪崩が止まったときに彼の身体は表面に露出した。しかし下半身は重傷を負い手術を受けた。命がけで出動する救助者のことを考えたことがあるのか?彼が世間の非難を浴びたのはいうまでもない。
このようにエアバッグといえども万能ではない。無いよりマシではあっても雪崩に勝てるわけがないのだ。脳を外力から守るよりも、状況を正しく判断できるように脳の中身を変える実験が・・・という時代が迫っているのかも知れない。























